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「夫婦漫談 vol.2」~廃墟をめぐる前畑家~【トークイベント開催レポート】 ゲスト 前畑洋平さん、前畑温子さん

第2弾のゲストは、前畑洋平×前畑温子夫妻。夫婦共通の趣味である廃墟めぐりをきっかけに出会い、産業遺産を活用し守るNPO法人J-heritageを立ち上げた2人。夫の前畑洋平さんは、NPOの代表理事のほか、内閣府地域活性化伝道師、産業遺産コーディネーター、写真家として活躍中。写真家として活躍中の妻の温子さんは、これまで2冊出版し、好評を得ています。2017年10月には、2冊目となる写真集『ぐるっと探検☆産業遺産』を出版された2人が出会った経緯から、趣味から仕事へと転じていった過程をお聞きしました。

共通の趣味が、出会いと仕事を生んだ

ー自己紹介と活動のご説明をお願いします。

洋平 さっそくですが、今日行ってきた職場をご紹介したいと思います。

温子 この写真、何か分かりますか?

観客 国道ですか?

洋平 うーん。グレード的には、もうちょっと上と言ったらいいのかな。すごく惜しいです。

観客 廃道かな?

洋平 正解です!最近は、廃道DVDなども発売していますね。

温子 私たちは、ツアーの企画をすることなんかもあって、今日はその1つの「旅丹」というお仕事でした。兵庫県の丹波市と篠山市の魅力を、3年かけて2人で撮影したものが、Webサイトにフリー素材としてアップされるんです。

洋平 僕たちも、まだそんなに廃道には手が伸びていなくて。シンボリックなものがないとなかなか行く機会がないんです。というわけで、タイトルの通り、いつも廃墟巡りをしている夫婦です。それで生活ができているのか?という疑問もあると思いますが、そういう話も交えながら、まずは2人が出会うまでのお話をさせていただきます。

旦那編ということで、まずは僕から。昔から、趣味で廃墟に行っていました。最初は、普通に行くだけで満足していたのですが、途中から、シークレットベースという廃墟サイトを運営し始めました。このサイトをはじめると、今度はmixiがきっかけで全国の廃墟サイト管理人たちのつながりができて、オフ会を開催するようになり、全国の廃墟を旅するようなことをしていましたが、普通に廃墟の写真を公開するだけではおもしろくないかなと、大仏のマスクをかぶって廃墟で写真を撮るという「プロジェクト・ブッダ」を仲間たちとスタート。これが、2007年くらいから廃墟マニアの間で流行ったんですね。こういうことをしているうちに、今度は出版社の方に声をかけていただいて、廃墟や団地、ダムを掲載する『ワンダーJAPAN』という雑誌のライターをさせてもらったり、だんだんと、情報を発信することに携わるようになりました。ちなみに、僕が初めて廃墟に行ったのは小学校5年生のとき。『僕らの7日間戦争』という映画に憧れて、地元の京都にあった巨大な廃工場に秘密基地をつくったり、中高生の頃は、肝試しみたいな感覚で廃墟へ行き、社会人になって車を持つと明るいうちに廃墟を見に行くようになり…ずっと廃墟を巡り続けています。

▲プロジェクト・ブッダを手がけていた頃の前畑氏

温子 では、嫁編ということで。私が廃墟にはまったきっかけはカメラだったんです。雑貨屋さんでHolga(ホルガ)というトイカメラに一目惚れして。真四角の写真が撮れるもので、ぜんぜんピントがあっていなかったり、斜め向いてたり。それが味のあるものに思えて、「写真っておもしろいやん」と、目覚めてしまったんです。仲間が欲しくて、mixiで集っていたトイカメラの撮影会に参加したときに知り合った男性から一眼レフを勧められて、入手したんです。10年くらい前ですね。せっかくいいカメラを買ったんだから、普段撮らないようなものを撮りたいなぁと思って、本屋さんへいい被写体のヒントを探しに出かけたんです。そこで、なぜか気になったのが廃墟の本だったんです。それまでは、まったく無縁だったのですが、写真集を手に取ると、普段の生活では見られない景色が広がっていて、「私もこんなところに行ってみたい!」と、思ったんです。当時は、プロの人しか廃墟に行けないのだと思っていたのですが、友だちの友だちに、廃墟を撮影しているという男性を紹介してもらい、それをきっかけに廃墟の世界に足を踏み入れました。

洋平 ちなみに、一眼レフを勧めた人と、廃墟を撮影しているという人、もしかして僕のことちゃうかな?と思われたと思うんですが、別の男性です。僕はまだ登場しない…。

温子 私たちが出会ったのも、実はmixiで。彼のページをのぞいたら、大仏のマスクをかぶっていて、おまけに廃墟。これはコンタクトとらなきゃと思って、メッセージを送ったのがきっかけでした。でも、なかなか会えなかったんですよ。

洋平 妻の文章がすごいおもしろくて、ノリがあいそうだったので、一回会ってみたいなと思っていたんですが。

温子 会いましょうと言ってくれるけど、なぜか、毎回そのタイミングに私が事故にあうという。日程が決まったら捻挫するとか、目に傷ができて目が開かなくなるとか。この人と会ったら、もっと大きな災難が起きるんじゃないかと思えてきて、ちょっと警戒していたくらいです。でも、たまたま、私を廃墟に連れて行ってくれた人と夫がつながっていることがわかって、それで一緒に廃墟に行ったんです。ようやく。

洋平 そのときの写真が、こちらですね。2007年の1月に、兵庫県養父市の明延鉱山というところに行きました。使っているカメラも一緒で、僕はそれで運命を感じてしまい、告白をするんですけども、何回もフラれて。こんなにフラれたことないわ、いうぐらいフラれましたね。

▲やっとで出会えた2人が訪れた、兵庫県養父市の明延鉱山にて

温子 彼女がいたんですよ。彼女がいるのに付き合おうって。私、すごい嫌で。

洋平 最低ですね、はい。

温子 どういうことやねん!と思って。そんな人とはお付き合いできないと、ほんとに何十回も断っていたんです。最終的に、もう別れてきたというので、一回付き合ってみて、あかんかったら別れたらいいかなと思って。お付き合いが始まりました。

洋平 いろんなことを乗り越えて、軍艦島でやっとプロポーズしたんです。端島神社という、軍艦島のデートスポット2位(元島民情報)にあたる場所ですね。

温子 ちなみにこのプロポーズ、結婚が決まってからだったんですけどね。

▲軍艦島にて、公開プロポーズ

洋平 僕なりのこだわりがありまして。こういうところでプロポーズしたいなと思っていたんですが、なかなか行く機会がなかったんですよ。長崎は遠いですし。しかも、この旅行は2人で行ったわけじゃなくて、廃墟マニアの人たちとグループで行っていたんです。合間を縫ってプロポーズしようと思ったら、みんなついてくるんですよ。だから、公開プロポーズみたいになってしまって。おかげで写真が残っているんですけど。

温子 結婚式の数か月前なんですけどね。

洋平 無事に結婚生活を送るようになって、でもまぁ、全然変わってないんですよね結局。やっぱり二人で永遠に、

温子 廃墟巡り。

廃墟巡りから、産業遺産へ。趣味が仕事へと変化

洋平 そういう趣味の全国の廃墟巡りから、産業遺産へとシフトしていきます。きっかけになったのが、兵庫県朝来市にある鉱場。この鉱山の中に、選鉱場という、掘った鉱石を要るものと要らないものに分ける場所があります。その選鉱場の中でも、東洋一と言われているのが、「神子畑(みこばた)選鉱場」という場所なんです。

▲東洋一の選鉱場と呼ばれた神子畑選鉱場

この巨大な鉱場を見たくて、妻とはじめて会ったときに行こうと言っていたんです。でも、行ってみたら、その選鉱場が解体されてたんですよ。このときに、カリスマガイドの中尾さんという方と出会って、すごく丁寧に対応しくれたんです。1月3日という、また迷惑な時期に行ったんですけど。お話を聞くと、神子畑選鉱場が取り壊しになったのは、廃墟マニアが原因だということがわかったんです。廃墟マニアは、基本的に、許可を取って入らない。勝手に廃墟に侵入して、いい写真を撮って、それをWebなどのメディアで紹介する。でもこれって、持ち主が困るんです。勝手に入っている上に、万が一けがでもしたら持ち主の会社の責任になるので。こんな廃墟マニアを置いといたらあかん、っていう風になって。その話を聞いて、衝撃を受けたんです。だったら、廃墟としてではなくて、ちゃんと許可を取って見学をして、産業遺産として価値を見出し、記録していかなくては、と思ったんです。そういう仕組みをつくるために、2009年12月にNPO法人J-heritage(ジェイヘリテージ)を立ち上げました。実際にその産業遺産を巡る旅のことを、ヘリテージツーリズムと名付けて、旅の企画や運営、産業遺産の魅力を書籍で発信するような事業をしています。産業遺産は、直接見てもらうのが一番いいんですけれども、何もなければ来てもらえないので、アートやプロジェクションマッピングなどを活用したイベント、全国の産業遺産の活用に関わるネットワークをつくるプロジェクトなどを通して、産業遺産を活用をお手伝いもさせてもらっています。

2人の活動が、ちょっとずつ価値を向上していく

洋平 姫路モノレールって、ご存知の方っていらっしゃいますか?昔、姫路にあったモノレール。ここの価値を守るためのプロジェクトを手がけています。姫路大博覧会の輸送手段として、1966年に開業した日本初の公営モノレールなんですが、赤字続きで休止せざるを得なくなって、79年には正式に廃線になった。そういう背景もあって、市民からは負の遺産とも言われているんですが、すごい価値があるんじゃないかと。だから、この価値をなんとか姫路市の方に理解してもらう機会をつくるために、見学会やシンンポジウムを手がけました。モノレールの車輌を残すことは決まっているんですが、駅舎や橋脚は老朽化もあって、今、どんどん取り壊しがはじまっています。もうひとつ、大きな目的があったんです。「大将軍駅」という駅が2017年、今年の数か月前まで残ってたんですけども、残念ながら解体されてしまいました。僕たちは、残るにせよ残らないにせよ、まずは知ってもらうきっかけとして大将軍駅の見学会を開催しました。

▲姫路モノレール旧「手柄山」駅

—今はもう取り壊されましたよね?

洋平 そうですね、今は完全に更地です。姫路市さんからの条件が、鳥のフンだけは何とかしてと。人体に影響があるから、って言われて。

温子 やはり廃墟と化していたので、鳥が住み着いていたりして。だから、しっかり清掃をすることが姫路市から出た条件だったので、ボランティアを募って、みんなで掃除をしました。

洋平 実際に見学会を開催したら、多くのメディアに取り上げてもらって。取り壊しは決まっていたので、残すことはできなかったんですけれども、姫路モノレールの価値がずいぶん再認識されたのではないかと。

温子 関連イベントのシンポジウムで、市長が残っている線路を切って文鎮にして売ろうよ、みたいなことを言っちゃったんですよ。実際に商品化して、最近売ってます。

洋平 このシンポジウムでも、価値が認知されはじめたのか、2010年から続けていたモノレールの見学の応募者がすごく増えまして。姫路市の中でもちょっと注目をされるようになってきてます。もうひとつご紹介したいのが、日本で唯一残っている、奈良少年刑務所。やはり取り壊しになるかもしれないと聞き、最後の1つだけでも残したいと思い、見学会を開催しました。

▲奈良少年刑務所

2010年くらいから年に1度、いわゆる受刑者の生活区域まで入れる見学会を開催していました。建築や産業遺産に関するプロの方たちに見てもらって、価値を発信してもらおうと。その活動が功を奏したのか、行刑資料館として残し、将来的にはホテルとして活用しようということになっています。公共施設の建設や維持管理や運営を民間の資金を使って活用するPFIという国の取り組みがあって、そういうノウハウも使って。で、J-heritageも見学会とかでがんばっているなと法務省の方にも認めてもらえたみたいで、写真をしっかり撮って、それを冊子にするというお仕事をいただきました。毎日見たくなるようなものをつくってほしいという依頼で、編集者や廃墟マニアのデザイナーの方に声をかけ、妻が写真を撮って、完成しました。

本の出版が、妻の人気に火をつけた

温子 はい。2014年に、熊の表紙の『女子的産業遺産探検』という本を出せてもらいました。これ、廃墟で撮った熊のはく製なんですが、はじめは、「なぜ熊を表紙に?」と思ったんです。でも、本屋で目につきやすいという編集者さんの話に納得しまして。ちなみに北海道の廃墟化した学校に残っていた、熊のはく製です。でも、本屋さんではペットコーナーに置かれていて。猫やカピバラに挟まれているとか。

▲2014年、創元社より発行された前畑温子初の著書

洋平 この本が出てから、妻へのトークイベントの出演依頼が一気に増えました。それまでは、僕がメインで依頼が来ていたんですが、この本が出てからは、徐々に夫婦の立場も変わっていきまして、夫婦格差が開いていったんです…。

温子 年間80から90くらいのメディアに出させてもらいました。新聞は、月に1、2本は記事を掲載していただいたり、本当にありがたいお話です。女性が産業遺産を旅することが珍しいというのと、保育士をしていたという経歴が、注目してもらうきっかけになったみたいです。

洋平 僕も負けていられないと、2016年11月に『産業遺産JAPAN』という単著を出版させてもらいました。しばらくは凪だったのですが、2017年の秋くらいから僕も再びメディアにお声がけいただくようになりまして。ちょっと風向きが変わってきて、あ、よかったなあと思ったら、まさかのまた…。

▲2016年、創元社より発行された夫、初の著書

温子 2017年11月に、2冊目となる『ぐるっと探検★産業遺産』本を出版しました。兵庫県を中心とした、関西の産業遺産を31物件掲載。行きやすさごとにレベル分けして、ほとんどが行ける産業遺産になっています。簡単に言うと、ガイドブック的なものです。表紙に描かれているイラストは、私の似顔絵です。産業遺産と言うと、やはり硬いイメージがあるので、和らげるような表紙をつくってくださいました。中もかわいいつくりになっていて、見やすさを重視してつくった本です。

▲洋平曰く「まさかの2冊目!」を発行(2017年、神戸新聞総合出版センター)

(画像:資料52ページ)キャプション:▲洋平曰く「まさかの2冊目!」を発行(2017年、神戸新聞総合出版センター)

 

趣味が仕事に切り替わる瞬間

 

ーお二人とも、趣味が高じて今があると思うのですが、少年時代から憧れていたものとかあるんでしょうか?

洋平 僕は、大人になってもしたい仕事がぜんぜん見つけられなかったんですよ。小学生の頃から、廃墟だけでなくて、ミリタリーマニアで。そういう趣味があったので、自衛隊も考えたんですが、趣味と仕事が一緒になったら、いやになりそうな気がして。高校時代、なかなか進路も決められず…就職しようと思い、限られた選択肢の中から警備会社に就職しました。残業も多くて、すぐいやになったんですけど、二十歳そこそこでいい年収をもらっていて、なかなかやめられず、結局11年在籍していました。高校生のときはバイクも好きで改造して乗り回しているような人だったから、今、僕がNPOをやっているのを見て、実家の近所の人たちからは「洋平くんめっちゃ変わった」って言われてます。

温子 私は、常に夢に向かっているという人生を送ってきました。父が美容室を経営していたので、中学生の頃は美容師になりたくて。もう将来も決まってるし、勉強せんでいいやと思い込んで、本当に勉強してなくて。いよいよ進路を決めないといけない時期に、あまりに勉強していないから親や先生に叱られて。で、猛勉強して商業高校へ入学しました。でも、高校時代に私は手先が器用でないことが発覚して。そんな中、ジュニアインターシップで保育園に行ったらそれが楽しかったんですよ。お店を継ぐのやめると父に言って、保育士を目指し始めました。なんとか短大に受かって、保育士になりました。

洋平 うらやましいですね。僕は好きな仕事なんて見つからないだろうと、お金を稼いで好きなことをするために働いてきた感じだったので。

ー趣味やマニアの領域だったものが、仕事に切り替わる瞬間があったのでしょうか?

洋平 感触をつかんだのは、NPO法人設立準備期間中です。NPOの立ち上げの際は、自分自身も廃墟マニアであることを隠さずにいこうと思ったんです。工場や鉱山廃墟の持ち主である大手企業からすれば、僕たちみたいな人がいるから困っている、という実情があるわけで。そういう企業との付き合いが難しくなってしまう。なので、まずは県のNPO相談窓口に行ったんです。そしたら、オモロイ奴が来た!みたいな反応でびっくりしたんです。お話を伺うと、彼らも産業遺産などの地域資源を活用したいけれど、見せ方とか発信の仕方がユーザー目線でできていないとおっしゃっていて。だったら、どんな風景を見せたら、過去に旅することができるのか、僕たちが趣味の領域で感覚的に培ってきたプロセスとかノウハウをお伝えして、一緒に取り組んでいくことができるのではないかな、という感触をつかみました。最初に外部の方に協力をしてもらえたのが、生野鉱山の取材でした。製錬所という延べ棒をつくる工場内には明治時代の建物がごろごろ残っていて。兵庫県の但馬県民局に相談したら「鉱石の道」という事業のプロモーションを手伝って欲しいと声をかけていただいて。それがきっかけで、いろんなところに取材に行くようになったんです。僕たちが、ただただ好きで見に行っていたことが、自然と仕事になっていく機会が、NPOにしたことで一気に増えていったんです。

今後は、ストック型の仕事もつくっていかないといけないなと思い、プロセスをちゃんと組み立てて、次にできることを提案したり、プロボノワーカーさんに力を借りて産業遺産のポータルサイトをつくったりしています。

温子 私は、産業遺産写真家という肩書きで活動をしているのですが、ツアーのガイドとか講師の仕事や、検討委員会のようなお堅い会議の場に呼ばれることもあります。

ーまちあるきのワークショップも手がけられてますよね。

温子 「ワンダーマッピング」というワークショップを企画しています。普段、町を歩いていてもなかなかおもしろいものって見つけられないんですよね。でも視点を変えたらおもしろいものがたくさんあって。その視点ってすぐに身につくものではない。だから、私の視点をおすそ分けしますという趣旨で30分くらい講座を開き、その後、町を探索して、おもしろいと感じた場所を写真に撮って、みんなで発表しあうというものです。例えば、産業遺産のガイドの研修の一環として行うこともあります。

観客 こういう分野では、パイオニアだと思うんですが、ライバルのような存在はいますか?

洋平 以前は、日本ヘリテージング協会というNPOさんがありました。商標登録もされていて。でも、最近はあまり活動されていないようです。全国的に見ても、産業遺産を遺す、活用することに特化したNPOや団体は、僕たちだけだと思います。

観客 会社に勤めながら、NPOの活動もされていたとのことですが、両立が大変ではなかったですか?

温子 保育士の仕事はすごく大変で。子どものことだけではなくて、他にも膨大な仕事量がある上に、上下関係が厳しいとかいろいろあって。だから、さすがに保育園ではNPOを運営しているだなんて言えなかったんです。家に帰ったら、主婦業もあって大変でした。でも、その合間に廃墟の活動をすることが癒しになっていて、なんとか両立していけました。もう仕事を辞めようというきっかけになったのは、軍艦島を世界遺産にする会というNPO法人の方とお話したときでした。「もしかしたら、日本全国が、軍艦島みたいになってしまうかもしれないよ」とおっしゃったんです。それを聞いたときに、このままじゃいけないって思ったんですよ。何かできることはないかなと考えて、写真で産業遺産の存在を知ってもらうことなら、私にできるやんと思って。それで、仕事を辞めたいと夫に打ち明けたら、いいよと言ってくれたんです。

洋平 内心、先を越されたなと思いましたけどね。収入面のほかにも、いろんな事情があって、僕は仕事を辞めるのがこわかったんですが、きっかけになったのはキャノンギャラリーで写真展をさせてもらったことですね。それからご縁があって、講演の依頼が来るようになったりして、会社勤めとNPOの活動の両立が難しくなってきて…退職することになりましたね。でも、収入のメドは立ってなかったんですよ。

温子 生活費どうするん?って、はじめは反対してたんです、気づいたら2人とも仕事をやめてましたね。

ー今後の目標はありますか?

温子 情熱大陸に出ることです。いつか、あの番組に出るっていうのが、夢です。願いって、人に言うとね、けっこう叶うと思うんです。これまでも、そうやって叶ってきたことがたくさんあったので。あとは、産業遺産の写真といえば前畑温子、と言われるような存在になることが目標です。

洋平 安定的に収入を得ること、も大切なんですが、今日は僕たち2人のことを中心に話をしましたが、NPOには他にもメンバーがいるんです。僕たちがこうして活動できるのは、そういうメンバーや今日のトークイベントに呼んでくれた岩本さんとか、周りにいる人たちのおかげなんですよね。だから、恩返しの気持ちを込めて、これからも産業遺産をちゃんと遺していきたいなって思ってます。

(レポートはここまで)

産業遺産を活用し、残すという使命感みたいなものがきっと強いんだろうけど、「廃墟が好き」だという純粋な気持ちが、二人の活動を支えているようです。周りの人たちもきっと、廃墟で収入を得るなんて想像していかなったはず。けれど今、生業として、着実に幅が広げている様子を見ていると、これからいっそう活躍される場面が増えるのだろうなと思います。いつか、情熱大陸で見られる日が楽しみです!

 

(取材・文 山森彩