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「夫婦漫談 vol.3」 〜地域に根ざして団地で結婚式まであげちゃった東・森夫妻 〜【トークイベント開催レポート】 ゲスト 東善仁さん、森恭子さん

第3弾のゲストは、東善仁×森恭子夫妻。夫の東善仁さんは、企業広告のディレクター、編集者、ファシリテーター、「greenz.jp」のプロデューサーとして活躍。妻の森恭子さんは、神戸大学キャリアセンター学生ボランティア支援室にてコーディネーターを経験後、大学内で多様な働き方を提示する「なりわいカフェ」の運営や、東さんと共に灘区の地域活動支援コーディネーターとして活躍しています。2016年に結婚したお二人は、堺市南区の団地に1年半住み込んで、集会所を活用したコミュニティルーム「茶山台としょかん」を運営。2017年6月には住民主導の「団地deウェディング」を開催しました。現在の拠点となっている灘区や、お二人の地元である奈良県や島根県でも、様々なイベントを仕掛けています。

コミュニティづくりのプロジェクトに捧げた、新婚生活

ー自己紹介をお願いします。

善仁 奈良県旧都祁村(奈良市荻町)の出身で、現在は41歳。18歳のときに、いわゆる大学デビューを果たし、京都でバーテンダーのバイトをしていましたが、お芝居に出会って、在学中から劇団に入り、6年くらい舞台に立っていました。その後、劇団を辞め実家の奈良で物流センターのバイトをしながら、就職活動した後、大阪の求人広告代理店に入社。さらに転職した制作会社では縁もゆかりもない名古屋オフィス勤務に悪戦苦闘。33歳のときに大阪オフィス勤務に戻ったのですが、クライアントからクレームがきたりしてどん底に落ちました。それをバネにして、フリーランスになり、今に至ります。

▲夫、善仁さんの人生グラフ

恭子 島根県浜田市という海の町で生まれ育ちました。夫のように浮き沈みは少ないと思うのですが…。大学時代から社会課題に興味があって、大学時代は国際協力に関心を持ってました。神戸の大学に通っていたことがきっかけで、YMCAでボランティア活動をスタートし、今でも深い縁のある団体です。大学院を卒業して、貿易関係の会社に就職しましたが、2011年3月11日起きた東日本大震災がターニングポイントに。この頃体調を崩したこともあり、「もしかして、雇われて働くという働き方が向いていないのかも?」と考えさせられた時期でした。

▲妻、恭子さんの人生グラフ

ー2人の出会いのきっかけは?

善仁 2015年に、青山学院大学と大阪大学が開催していた「ワークショップデザイナー育成プログラム(以下、WSD)」で同期になったんです。でも、付き合いはじめてすぐに「茶山台としょかん」という事業が始まって…。このプロジェクトは、入居者が少なくなっていた堺市の公社茶山台団地というところのコミュニティづくりを支援するためのプロジェクトです。クライアントの大阪府住宅供給公社さんは、ハード面にももちろん力を入れていたのですが、ソフト面での価値を上げてほしいということで、住み込んでコミュニティを再構築していく、という企画。で、当時僕は大阪市内、妻は神戸市内で暮らしていたので、泉北と神戸の距離で付き合っていくのは大変だろう、だったら結婚しよう!ということになり、このプロジェクトに新婚生活を捧げることになったんです。僕らが任されたのは、団地の中でも一番使われていない集会所。まずは、子どもの遊び場として場を確立させようと、読まなくなった本や雑誌を住民さんに持ちよってもらって図書館にしました。最初は、カフェの屋台を作ったりして色々工夫したんですが、全然人が来なくて待ちぼうけの日々。でも、春休みに子どもが集まってきたりしてじわじわ浸透してきました。大人の居場所もほしいというリクエストをもとに、0円マーケットを開催したりもしました。これは、お金を介さないマーケットで、自分では使わなくなっておすそわけしたい品物を持ってきたり、その中から欲しい物を持って帰ったりしていくうちに、新・旧の住民が関わりを持つきっかけになっていったんです。

▲茶山台としょかんのようす

恭子 としょかん図書館を開いて、真っ先に来てくれたのは子どもだったので、彼らの意見は大切にしたいと思って、子ども会議を開いて住民の意見として取り入れたり、としょかんの使用ルールを決めてもらったりもしました。

善仁 他にも、巨大紙相撲大会を開催したり、ちゃやミーツという、企画会議や悩み相談の場を設けたり、さまざまな仕掛けをしてきました。そして、2017年に団地の広場で結婚式を挙げたんです。なんか恥ずかしいですね(笑)。僕たちは、1年半暮らしてコミュニティをつくって、今は第2期のメンバーが活動を引き継いでいます。

▲団地ウェディングのようす(greenz.jpより引用 https://greenz.jp/2017/08/18/chayamadai/  動画リンク:https://youtu.be/tkkqjLCIm7c )

共通のキーワードは、“地域と暮らしとふるさと”

恭子 茶山台団地の仕事を経験してみて、これまで地域の生活にまで根ざして活動をすることってなかったなと振り返っていたんです。そういうことをきっかけに、”地域と暮らしとふるさと”をキーワードに「浜田港の夕日と大和の高原舎」を立ち上げました。以前から、東さんとはお互いの地元で何かしかけたいねと話をしていて。名字が変わることもそうなんですけど、結婚って、いろんな疑問とか問題が付随するなぁと思っていて。これは私たち夫婦の問題なのか、家族の問題なのか。まだ整理しきれていないんですよね。

▲灘区で行っている「レトロ喫茶であいまショー」

善仁 それで、”家族のことをなりわいで解決していく”ことをテーマに、奈良・浜田・神戸の3つの場所を事業拠点にして、受託ではなくて自分たち発信で仕事をつくっていこうと。仕事で実家に帰っているのか、実家に帰るついでに仕事しているのかが、わからない状況をうまくつくっていくのが当面の目標です。今、暮らしている神戸市灘区では、地域活動支援コーディネーターとして活動しています。閉店して使っていない喫茶店をお借りして、地域の方をゲストに招いたトークイベントを開催したり、兵庫県立美術館から神戸市立王子動物園まで続くミュージアムロード界隈を盛り上げる活動をしています。

恭子 お互いの地元でイベントも仕掛けていて、浜田市では、2017年2月に地域を考える座談会「green drinks Hamada」を開催しました。浜田市で活躍している方と、ウェブマガジン「greenz.jp」の方をゲストにお呼びしました。私は地元を離れているので、今、どんなことが起きているのか状況やキーパーソンもわからないので、地元との接点をつくる大きな一歩になりました。

▲green drinks Hamadaのようす

善仁 僕の方はというと、地元の仲間と一緒に、廃校活用も手がけていて。2017年11月に、母校の旧六郷小学校で「りくごう a Go-Go !」という映画とマルシェのイベントや「green drinks 大和高原」を手がけました。

恭子 あと、これからやってみたいと思っているのが、「床の間ギャラリー」。今住んでいる灘の自宅は、築80年の一戸建てに床の間が2つあるんです。その持て余している床の間に、私が気になるアーティストさんの作品を展示して、自宅を開放して鑑賞してもらう、というシンプルな企画です。地域の居場所づくりや、空き家活用の一例にできないかなと。それに、みんなの心にアートを買う余裕みたいなものができたら、ちょっとだけ社会がよくなるんじゃないかなという、実験的な試みです。

人生グラフの平均点からみえる、2人の価値観のちがい

ー仕事と暮らしの距離が近いですね。先ほどの、人生浮き沈みグラフを見ていて、お二人の平均値の違いがすごく気になりました。恭子さんは平均値が高めですね。

恭子 26歳の頃、グラフでは落ちているものの、体調を崩したときに、一人暮らしの私を気遣って、YMCAの方たちがすごく手助けしてくれて。何気なく関わっていた場が、自分にとってはすごく重要な場になるんだと感じて。人とのつながりをものすごく確信できたんですよね。

恭子 東さんが舞台に立っている頃、私は駅のホームに立って投票へ行くことを呼びかける活動をしてました。島根県は、県庁所在地に原発がある唯一の県なんです。知らなかったことを知った衝撃で、いろんな活動にかかわるようになったんです。

ーお二人の価値観が、ずいぶん違っていたんですね。

善仁 社会派とノンポリ、的な。無関心ではなかったんですけどね。

ーでも、そんな二人の価値観が、WSDがきっかけで交わったんですね。

善仁 WSDに通いはじめた頃は、企業のミッションとかビジョンをつくっていく、いわゆるブランディングの仕事をしていた頃だったんですね。チームで仕事をしていたんですけど、コピーライターの書いた言葉が強くですぎる進め方が、一方通行というか、いまいちピンとこなくて。じゃぁ、クライアントと一緒につくっていくって、どうやってその過程をデザインするんだろう?と思って、自費でWSDに参加したんです。

恭子 私はこの頃、雇われずにどうやって生きて行ったらいいかを考えはじめた転換期だったんです。それで、正規雇用のスタッフではない立場で、神戸大学のボランティアセンターで「なりわいカフェ」という企画を仕掛けていたんです。生きる道を探るトークイベント。そういう場づくりに興味があって、自分で場づくりができるようになったらなんとかやっていけるんじゃないかと思ってWSDに通っていました。

善仁 WSDを修了して間もなく、大阪府住宅供給公社さんから、さっきお話した泉北ニュータウンの話があったんです。そこで学んだことを一通り生かして、公社さんの社内ワークショップをプランニングしました。それがとても好評で、団地の話につながっていったんです。

暮らしと仕事が一緒くたになった生活

ー仕事の現場と暮らしが一緒になる環境に行くことに、抵抗はなかったんですか?

善仁 なかったですね。そのときは39歳くらいで、引越しをしてまでやるようなプロジェクトは、もう最後かなって思ったんですよ。で、6月に企画書を提案して3か月何の連絡もなく、どうなったのかなと思っていたら、決済がおりたと。

ーお付き合いが始まって、1か月くらいのタイミングで行くことがわかった…結婚は恭子さんから迫ったんですか?

恭子 迫ったというか(笑)。私がもう、乗るか反るかのどっちかしかないなと。それで、一緒になろうかという話になりましたね。

善仁 まさか、当時は縁もゆかりもない場所で婚姻届を出すとは思ってなかったですね。断られていたら、僕はひとりで泉北に行かないといけなかった。僕が引っ越してコミュニティづくりを始めたことで団地の取材が増えたりして。2人で歩いていたら、顔を見て「あ!」と言われることもありました。

ー悪いことはできないですね。茶山台で行っていた0円マーケット。新住民と旧住民が混ざる機会をつくれることってなかなかないと思うんですが、最初からうまくいったんですか?

▲0円マーケットのようす

善仁 このマーケットに関しては、反応がよかったですね。部屋が狭くて物があふれていても、坂の上にある団地で廃品回収に出すのも一苦労、とか。そういう事情もあって、物がどんどん増えていきましたね。回を重ねると、おばちゃんが進んで売り子をしてくれました。「あんた、これ似合うから持って帰り」みたいなやりとりが増えていった。子どもたちは、朝の7時くらいから準備を手伝ってくれたりしました。

恭子 団地に住んでいる方から、「出品しているのが団地の人だとわかっているから安心や」という声もありました。そういう感覚もあるんやなぁと、発見がありましたね。

善仁 お金を使うかどうかは、すごく迷ったんです。でも、団地内というある範囲で閉じたコミュニティを開くには、お金使わない方がいいと思ったんですよね。損得の勘定がないほうがフラットな関係をつくれるんじゃないかと。

ーやはり閉じているんですか?

善仁 そうですね。ニュータウンは、町のつくりそのものが閉じているというか、建物の設計上外と内をはっきり分けるような感じでした。それをなんとかしたかった。

▲茶山台で行っていた、ちゃやミーツのようす

ーで、わずか1年半で2期目のメンバーに引き継いだ。わりと早い段階から想定していないと、引き継げない部分もありますよね。

善仁 もともと、任期は1年、長くても1年半で絶対やめるという条件で受託した仕事だったんです。はじまる前から、1週間の過ごし方と、1年をどうやって過ごすのかタイムスケジュールをつくって、イベントを打つタイミングは決めていました。そうやって、逆算して進めていたから、いいテンポで実行できたのかも。コミュニティづくりにすごく興味のある人がたまたま引っ越してきて、後任者も順調に決まったんですよ。

結婚の不思議。夫婦の問題。

ーもう一つ気になったのが、「結婚の不思議。夫婦の問題?」という項目。恭子さんのポリティカルな価値観と東さんのノンポリ価値観が鮮明に現れている。対比がおもしろい。

善仁 夫婦別姓に関しては、恭子さんから提案があって、うちの両親に、2人揃って、「そういう考えもあるんだよ」と、説明をしに行きました。

恭子 私、この頃、結婚前でブルーな時期だったんですよ。仕事もやめるし、住み慣れた神戸を離れる、とか、私にとっては変化が大きすぎてついていけてなくて。さらに名前も変わるのか、と。いろんなことが消化できない中で、最後のあがきだったんだと思います。で、東さんのご両親に話してみると、意外にも「自分たちで決めたらいいやん」と言われて拍子抜け。でもはじめは「夫婦別姓ってなに?」みたいな感覚だった。私の周りには夫婦別姓の友だちもいるし事実婚もいるので、そういう選択肢もあるなと、ずっと思っていたんです。でも、東家の周りにそういう人はいないし。東さん自身も、夫婦別姓ってあんまり考えたことなかったみたいだし。いろいろ考えて、結局、私は東の名字になったんですけどね。

▲奈良県北東部都祁村の東家

善仁 夫婦別姓は考えたことはなかったですね。まぁ、さらっと言ってますけど、実家ではけっこうな修羅場でしたよ。イメージしてもらいたいのが、金田一耕助シリーズに出てくる、犬神家一族。そこに夫婦別姓の話をしに行くんですよ!まだ土葬が残っているような地域ですからね。

恭子 私の実家に関しては、仕事もそんなにあるわけではないし、地元で就職しろとはほぼ言わない。なんでも子どもに任せちゃう家が多いかな。遠いので実家にもなかなか帰れないし、代々続く家を守るなんていう感覚はまったくなかったから、東さんが頻繁に実家に帰ることにびっくりしました。

善仁 田植え、稲刈り、冬には土の入れ替え、それから年末年始に、お彼岸。毎月帰ってるやん!というくらい、頻度は高いですね。さすがに毎回帰れないですけど。

恭子 家や親との距離感が私とぜんぜん違う。東家は、家の行事が仕事のスケジュールにも影響してくるんですよ。ゴールデンウイークは休もうやって言うと、いや、田植えやな、とか。だから、休み=自由な時間、ではないんです。

ー恭子さんも、田植えをしたんですか?

恭子 友だちの家族も呼んで、一緒に田植えをしました。家族だけでやってたらだめなんじゃないかな、もっと開いていったほうがいいんじゃないかなと思って。その友人家族は、いわゆる田舎というのがないので、田植えの経験もなかったし、田舎に来れただけでずいぶん喜んでくれました。

善仁 恭子さんは、そういうところがえらいなぁと思います。僕も家の年中行事をすべてイベント化しようと思って。結婚する前から「大和高原インターンシップ」というタイトルをつけて、神戸大学の農学部の学生を、僕の個人インターンシップ生として雇ったんです。1ヶ月間、週の半分は大阪、残りの半分を都祁村で過ごすというプログラムにして、稲刈りをしたり、農学部のリサーチを手伝ったり。そういう冠をつけておくと、知り合いの大学の先生から「見学に連れて行ってもいいか」という話が来ることもあって広がっていく。家族がいやだと思っていた稲刈りを、イベント化することによってお互い楽しくできるし、親にも刺激になるんですよね。

お互いの価値観が違うからこそ、

新たな出会いや知識を仕事にフィードバックすればいい

ー恭子さんは、今後の地元での展開をどのように考えていますか?

恭子 まだ走り始めたばかりで、同級生とかも含めて、やっと横のつながりができたかなという段階。距離があるので、頻繁には帰れないのがネックで。まだまだこれからですね。浜田は、温泉もあって、魚もおいしくてすごくすきなところ。だから、地元をなんかしたいなっていう純粋な思いで活動をしています。

▲恭子さんの実家のある島根県浜田市にて

ー3拠点生活になっていくとおもしろいですね。

善仁 それが理想なんです。どちらかの実家に頻繁に通っていたとしても、仕事で行ってるねんと言ったら、文句は出ないじゃないですか。

恭子 そういうのが、本当にややこしいなと思っていて。親って、どっちの家が先とか気にするじゃないですか。どちらかを立てたら、あっちの家に筋が通らんとか。私の母親は、一人で暮らしているので、やはりなんらかの関わり常に持っていたいんですよね。そうなると、東さんは3人兄弟だし、やっぱり普通はそっちを優先するじゃないですか。これはケンカを売ってるわけではなくて(笑)。結婚って、そういうこともあるんだなぁって思うんです。

善仁 浜田の活動でいうと、「パサール満月海岸」というイベントスペースを運営している人と仲良くなって、何かイベントができないかなと話しています。あと、京都の只本屋というフリーペーパーを集めて置いている場所があるんですが、もしノウハウを教えてもらえるなら、浜田に支店をつくったらどうかなと考えています。浜田市内には、本屋さんがほとんどないんですよ。でも、僕たちが書店を開くのはリスクが高い。だから、たとえば日々の運営は地元にある県立大学の学生にアルバイトで協力してもらって、僕らは月1回オーナーとして帰るといったことができたらいいなぁと思っています。

ーお二人は関心を持たれている方向性がぜんぜん違う。でも、一緒に仕事をしている。

善仁 趣味もぜんぜんちがっていて、唯一の接点が、僕の趣味のサッカーと恭子さんの趣味のフラメンコの共通点である、スペイン。話があうのはそれくらいかな。日常会話でも、朝からいきなりジェンダー論の話題になったりとかして(笑)、なかなかおもしろい日々です。でも、ひとつの工夫として、お互いに我慢はしないようにしてます。仕事のことでも、言いたいことははっきり言います。違うからうまくいってるところもあると思いますし。これが、デザイナーとライターとか同じような職種だったら、けんかが絶えない気がする。

恭子 それはあると思います。私の知り合いと東さんの人脈はぜんぜん違うし、新しい分野の人たちとの出会いが多くて、ほんとに刺激になります。

善仁 そうですね。コミュニティが全然違うから。僕は、サッカーのコミュニティとプライベートでやっているスティールパンのバンドメンバーと、クリエイティブ系の仕事仲間がメイン。一方、恭子さんは、YMCAという場だったり、国際協力関係の人が多いから、留学生など宗教や国が違う人がいっぱいいたり、英語で話すコミュニティ。お互いのコミュニティの接点はまったくなかったけれど、だから知り合うことがとても新鮮で、お互いが知らない価値を仕事にフィードバックしたらいいかなって思っています。

 

(レポートはここまで)

育った環境も、社会に対する価値観もちがう夫婦が、一緒に仕事をするなんて想像よりもずっと難しいだろうと思っていました。けれど、善仁さんと恭子さんは、お互いの違いを受け入れる器が大きい、そしてその違いをおもしろがって、新しいプロジェクトにつなげていく。そういうところが似ているから、成り立つ関係なのかもしれません。

(取材・文 山森彩